50代の強制断捨離「したかったわけじゃないんだけど!」

サラリーマンの妻として結婚30年。
半世紀を生きてきて、そろそろ余生を・・・なんて考えていたら、いきなり家も夫も子供もいなくなってしまいました!
あれ?こんな人生想定外!
「もっと若ければ」と思いながらも、おばさん生きていかなくちゃ。いや、生きていかなくてもいいのか?と葛藤しながら、それでもお腹がすくからよく食べる。
よくわからないけど生きています!

甘えるな、自分。

誰かに助けてもらおうと思うとロクなことはない。


甘えも捨てなければ。


困った時は相談してください、と書いてあるので

勇気を出して相談に行ったら、

中年弁護士の言葉にかえって傷ついただけの、市の相談コーナー。


友人にしても、、、

それまでお付き合いしていた友人たちは、

ほぼ、いろいろある前の私に近い環境の人たち。


お子さんはだいたい中学からは私立、

きちんと会社を勤めあげている

彼女たちのご主人は、役員クラスになっている。

働いているとしても、当然扶養範囲内のパート。


彼女たちに、自分のことを少し話そうか

と思ったこともあるが

やはり、理解されることは難しいし、

かえって、借金でも申し込まれるのではないか、と

怖がらせてしまうだけということがわかった。

話しても、良い解決策がここにあるとは思えないし。

ランチに1000円以上出すことを

「もったいない」と思ってしまう自分もいる。


夫のアスペルガーのため、

家族ぐるみでのお付き合いレベルの人たちとは

これまでトラブルも多い。


本人的には

間違っていると思ったことを間違っているとはっきり言っているだけだが、

「高学歴高収入のヤツに上から目線で激しく叱られた」

みたいなことをされて

お付き合いを続けてくれる人はそういないわけで。


この現状を話しても

「ざまあみろ」としか言われないだろう。


本来、助け合うべき夫は

自分がしでかした「ありえない間違い」が許せず、

その部分からまだ出られないのかもしれない。


こうなった時、私ならこう思う、とか普通ならこうする、

というのが当てはまらないのが彼だ。

良かれと思ってしたアドバイスなども、

向こうが求めてきたならするべきだが、

そうでない場合、かえって混乱して怒らせるだけだ。


今、彼の心の中には

家族への責任、とか、家族の気持ち

という項目はない。

彼自身の中で次のステップに進むまで、ひとりにしておくしかない。


幸い、彼のようなタイプの人は「うつ病」などにはなりにくいそうだ。

そうなんだ。

人間というのは、いろいろだ。


てなことで、甘えるな、自分。

なんとか暮らす日々

3年と少し前、

それまで一部上場企業に勤める夫のもとで何の不自由もなく暮らしていた私は、

50歳直前になって、夫の失業と破産、そして彼の発達障害から同居が困難になり、

建てて7年の家を手放し、娘と家を出て暮らし始めた。


家・財産・家庭・安定した衣食住を失い、

自分ひとりの力で19歳の娘とともに生きていかなければならなくなった。


広い家からたくさんの物質と思い出を捨てて、1LDKへ。


離れて暮らす親は認知症の母と、

ついこの間手術をしたばかりで母の介護にも追われる疲弊した父、、、と
頼れるはずもなく(頼られる方で)


子供は成人一歩手前ながら、まったく自立していないし、

かといって公的補助も受けられない年齢。

40代と50代では仕事を探すにも、かなり違うのだ。


今まで頑張った人生の円熟期に入っていこうとする人たちがいる中で、

ここへきて1からのやり直しスタート。

50にして本当の自立。
この50歳という微妙な年齢がキツイ。


ママ友云々とか子供の教育とか、嫁姑問題とか、ご近所付き合い等々、

もちろんそういう問題がなかったわけでもなく、それなりに与えられた場所では頑張ってきたはず。

仕事だって、子供を出産した月以外は、ずっと細々頑張って続けていた。


でも、放り出されてみると、社会的には全然自立していない自分、


途方に暮れる 日々。。。


心にたくさん傷をつけながらも、

こんなのもう嫌だ、と思いながらも、

人間、死ななければ生きている。


毎日は流れていく。。。


ひとつひとつ、、、

場所を移して再スタートした仕事(教室)が何とか新年度を迎えることができて

少し、暮らしに希望を持とうと思えるようになってきた。

続けられるのか?個人事業

よく聞くことだが

「この人のそばにいると、おいしいことがありそう、楽しいことがありそう」

という人の周りには、人が寄ってくる。


個人の教室経営なんて、まったくの人気商売だ。

そんなんでよく食べている。

人にも言われるけど、自分でも思う。

たまたま、たまたま続いているだけだ。


明日どうなるのかわからない、こんな不安定な仕事

早くやめて、ひとつでも若いうちに、

どこか、お給料をくれて、社会保険制度の整った会社に就職をすべきだと

思いながらも、なかなかふんぎれない。


お金のことももちろんだが、

この仕事が好きだからだ。


この仕事で出会った、たくさんの人たちまで手放したくなかったからだ。



家と家族の断捨離が始まる前、15の定期的なクラスがあった。

そのうち自宅で行っていた10クラスは

新しく借りた隣の駅の古いアパートに7クラス、

隣の駅に通うのは大変というシニアやお子さんのために

もとの町の貸教室に3クラス分けて再スタートをした。


勝手に、それも新築のおしゃれな家から

あまりきれいでない狭いアパートへ急に教室を移転して、。。

じゃあやめようかな、と思われてもムリはない状況だった。



家を売ることにして、泣く泣く娘と家を出た3年前の3月、
教室はちょうど、次年度の更新手続きの月にあたった。


こんな悲惨な精神状態と経済状態

何かがあったことを、たぶん気づいていた人は多かったと思うのだが。

気づかないふりをしてくれたのか。


必死で演技はしていたが、

残念なことに疲労やストレスが顔に出てしまうお年頃だ。

しかし、ほとんどの方が、

「おいしいこと、楽しいこと」のかけらも感じさせないくらい

マイナスオーラの出てしまっていただろう私に、何かを尋ねることはなかった。


ふたをあけてみると、次の年に更新せずに辞めたのは2人だけで

ほとんどの生徒さんが変わりなく更新してくれた。

それも1年分前払いの生徒さんがいつもの年より多かった。


家や財産を失った何もない私のことを、信用してくれるということなのか。

涙が出るほど嬉しかった。


頑張らなくていけないと思った。